施術者紹介

川俣 瑞紀(かわまた みずき)

生年月日:1990年1月12日

出身地:埼玉県

【所有資格】

柔道整復師/機能訓練指導員(国家資格)
健康科学士(学士)
NASM–PES(米国家資格)
深化リメディアルセラピー(豪国資格)

柔道整復師を目指したきっかけ

このページではふくふく接骨院・整骨院・院長の川俣瑞紀が、柔道整復師を目指したきっかけおよび、地元を離れて秋田で開業した理由についてお伝えしております。

当時62歳だった祖母の姿を追いかけて……

わたしが小学2年生のころに、祖母の姿を見ていたことが柔道整復師を志す大きなきっかけです。

祖母は脊柱管狭窄症のためか痛みをかばうために、腰が90度ちかく曲がってしまい日常生活にも支障が出るような状態でした。

もちろん小学生の私には理解できず、ただただ弱っていく姿だけが印象に残っています。

さいごは、施設へ入居しほどなくして亡くなる結果に。

自分にはなにもできない無力感だけが残る

小学生であった私にはどうすることもできませんでしたが、

「もし自分が大人だったら、医者だったら……」

といった思いが頭をかけめぐり、無力感にさいなまれた記憶があります。

「他人の役に立ちたい」という気持ちが原動力に

弱っていく祖母の姿を見つつ「自分になにかできることがないか?」と小学生なりに考えた結果、腰や背中にマッサージのまね事ともいえる施術を行っておりました。

お世辞にも効果があったとはいえませんが、施術を受けている祖母の顔は今でも忘れられません。

思えば、当時から「こまっている人と直接かかわれる仕事がしたい」という気持ちが強かったと思います。

高校生時代は部活で選手兼サポート役に

高校時代はバスケット部に所属し選手としてプレーをしながら、体のことを自主的に勉強しておりました。その結果、部活内では先輩や同級生からサポート役としも信頼を得るようになります。

私自身は、恩師の最後となる大会前日に足の大ケガをしてしまい涙を流すことに。
その2ヶ月後に迫った引退試合までに少しでも早く復帰するための方法を独学で学んでおりました。

教師と治療家の2択で迷う

部活を引退後は、後輩の練習に参加しながら

教師を目指して部活の顧問に or 治療家として選手のサポート

で迷った結果、治療家の道に進むことを決意します。

大学に進学、卒業後は埼玉県の鍼灸整骨院で約3年6ヶ月の勤務

柔道整復師の資格が目指せる帝京平成大学に進学し、4年間みっちり勉学に励むことに。順風満帆……とはいえませんが、無事に卒業し柔道整復師の国家試験にも合格します。

その後は、埼玉県の鍼灸整骨院で3年6ヶ月間の勤務することに。

地元から離れてまで開業にいたったきっかけは『祖母の残像』

大学時代に出会った妻と結婚し、彼女の地元でもある湯沢市を訪れたのが大きな転機となります。

というのも、以前より横手市に住む彼女の祖母から「地元に通いたいと思える治療院がなくてこまっている」という相談を受けていました。

妻と相談し「2人でできることはないのか?役に立てることはないのか?」と考え抜いた結果、

「必要とされているところで自分達の力を活かしたい」

という答えにたどりつきます。

それからは、お世話になっていた職場をすぐに退職し、2人で開業の準備を始めることに。

なにかに導かれたような感じですが、いま思うと義母や彼女の祖母の姿を、私の祖母と重ね合わせていたのかもしれません。

ふくふく整骨院の屋号の由来

ご利用いただいた方に、健康を通じて「たくさんの『福』がおとずれるように」といった願いを込めたものとなっております。

さいごに(=ふくふく接骨院・整骨院のコンセプト・方針)

おもに「70歳を過ぎても動ける体づくりをしておきたい」といった方にご利用いただいております。

とくに腰痛をきっかけに来院される方が多く、なかには県外から車で片道5時間かけて来院される方もいらっしゃいます。

予防も兼ねた施術を中心に行っているため、保険が利用できず一般的な整骨院にくらべると高額になります。しかし、みなさまの体は車の部品とちがい、代えのきかない唯一無二のものといっても過言ではありません。

ふくふく接骨院・整骨院では、年齢を重ねても自分の脚で歩ける姿をイメージしていただくために、日々ご利用いただく方と向き合っております。

20年後の自分への自己投資をする場所としてご利用いただければ幸いです。

ふくふく接骨院・整骨院

院長:川俣 瑞紀

アクセス

【住所】
秋田県横手市平鹿町醍醐字醍醐84−3

【受付時間】

水、土、日はAMのみ

※完全予約制